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日本サッカー協会のシンボルは神の使い

サッカー日本代表のユニフォームの左胸にあるエンブレムは、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」だ。どうしてサッカー日本代表には八咫烏が使われているのだろうか。

八咫烏について

八咫烏の「咫(あた)」は長さの単位で1咫は約18cmとなる。八咫は大きなという意味で、八咫烏は大きなカラスという意味で、3本足のカラスとして描かれている。
八咫烏は、天からの使いで、熊野で神武天皇の道案内を行い大和の国の平定を手助けしたことから、勝利のシンボルの意味もある。
日本書紀や古事記に登場する八咫烏だが、実は3本足のカラスとしては書いていない。八咫烏がどうして3本足なのかは明確に分かっていないが、理由は所説ある。
中国神話には三足烏(さんそくとう)という太陽を象徴するカラスがいて、それが日本神話と混ざり3本足になったのではないかという説。
八咫烏を信仰する和歌山県にある熊野本宮大社では、八咫烏の3本足を天、地、人を表しているという説などがある。
真っ黒なカラスには、ネガティブなイメージを持つ人もいると思うが、八咫烏を信仰する熊野地方では神の使い手として大事にされているそうだ。

どうして八咫烏が採用されたのか

日本サッカー協会が創設され、昭和31年(1931年)協会のマークを作ろうという話になった。
その際、協会創設に尽力した内野台嶺の発案により、日本サッカーを広めた人物である中村覚之助(かくのすけ)にちなんだものにしようとなる。
中村覚之助の故郷である和歌山県那智町浜ノ宮の渚の宮神社のシンボルである八咫烏が取り入れられることになった。というのが、現代では有力な説だ。
公式ユニフォームのエンブレムとして採用されたのは1987年から。
今でも日本サッカー協会の関係者が参拝し日本代表の必勝を祈願するなど、深い交流が続いている。

日本サッカーの始まり

日本にサッカーを広めたとされる中村覚之助は1902年、フットボール部を設立。これが日本で最初のサッカーチームとされている。
中村は選手として加わらず、部の運営やルールの指導に当たっていた。
そして、1904年には横浜の外国人クラブと初めての対外試合を開催。結果は0-9と大敗するものの統一ルールのもとで初めて行った日本サッカー史上初の試合である。
1906年、中村は病気により28歳という若さで亡くなっているが、八咫烏をシンボルとする日本サッカーは普及・発展を続けている。