徳川家の家紋
徳川家の家紋といえば時代劇でおなじみの葵のご紋。正確には「三つ葉葵の御紋」である。その名の通り3つのハート型の葉が組み合わさった家紋だ。
三つ葉葵のアオイについて
葵というとタチアオイ、トロロアオイなど、アオイ科の植物だが、三つ葉葵に使われている葵は、フタバアオイという植物である。
フタバアオイはアオイ科ではなくウマノスズクサ科の植物で、山林の地面に生える植物のため、とても地味な植物なのだ。
どうして、このような植物を徳川家康は選んだのだろうか。
フタバアオイをモチーフにした紋「二葉葵」がある。葵紋は京都の賀茂神社の神紋として使われていた。
神聖な植物として使われてきた葵を家紋としたことで、家康が新田源氏の流れをくむ賀茂神社の氏子であったかったからだといわれている。
厳重に使用が制限されるようになった
徳川家康が江戸に幕府を創設して以降、葵の紋は江戸時代を通じて朝廷(天皇家)の紋章(菊、桐)以上の権威の象徴としされていた。
葵紋の使用が許可されているのは、徳川家の他に、親藩の最高位である徳川家康の子を藩祖とする尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家の御三家と松平家の一部のみである。
このため、無断使用どころか粗末に扱うことすら戒められ、数々の禁止令が発せられている。
理由なく使用したことで処罰された事例もある。
ところが寺社奉行から特別な許可や指揮があった場合は例外で、許可を得た関係者は寺社に奉納する品物に葵紋を施してたものが、現代まで残っているものがある。
朝廷からの下賜を断っていた家康
朝廷は強大な権力を持つ織田信長や豊臣秀吉に対して、菊や桐の紋をし、使用を許可していた。天下統一を果たした家康に対しても同じように授けることを検討していた。
しかし、家康は今は亡き先人に倣うのを嫌い、朝廷からの申し出を断ったというエピソードがある。
バリエーション豊富な葵紋
家康が葵紋を家紋とする以前は、徳川家以外の多くの家に用いられていたため、いくつもの種類が存在している。
葵の葉をモチーフとする葵紋は、基本的に複数枚の葉で描かれていることが多い。葉の数が違っていたり、葉を輪で囲むなど、葵紋は約200種ほどのバリエーションを持っている。
徳川家が使用した紋には、葵の御紋以外にも水戸徳川家の水戸六つ葵や紀州徳川家の紀州六つ葵、丸に三つ葵裏、紀州松平家の西条三つ葵などいくつか存在している。
同じ葵でも6枚の葉をモチーフにしているのだ。