お金がデザインされた家紋「銭紋」
銭紋とは、貨幣の銭貨を図案化した文様のことで、真田家の六文銭が有名である。
銭は円形の硬貨であり、その形状を模したデザインが家紋として使われている。
死者の棺に入れる六道銭に由来する信仰的なものと、富を象徴する瑞祥的な意義に由来し、財産や商才を象徴する家紋として用いられた。
日本の武家や商家などの家紋として見られることがある。
銭紋には複数のバリエーションが存在し、主な図案は文字や青海波が描かれた有文と、輪郭や縁のみの無文に分けられる。
一重の円形や穴の開いた円形の銭紋、または複数の円が連なった六連銭紋など。
小銭を描いた銭文は時間が経つにつれて、文字のないものから文字入りにシフトしていったが、これらのデザインは、個々の家や氏族の好みや伝統によって異なってくる。
六文銭を用いた真田家
六文銭を家紋として用いたのは真田一族がほとんどである。そのため、六文銭は「真田銭」「真田六文銭」とも呼ばれている。
例外的に六文銭を使用した片倉氏も、真田氏とは婚姻関係にあった。
六文銭の由来は三途の革の渡し賃である六道銭(りくどうせん)に由来する。
戦やその他日常における駆け引きについても死を恐れず立ち向かう、不惜身命の精神を表したものだ。
自身はいつでも三途の川を渡れる準備を完了していることを明示するため、六文銭を旗印にしたとされている。
その軍旗は戦場でも敵を大いに恐れさせた。
現代では真田家の六文銭は上田市にある呉服屋が商標として登録している。
織田信長の家紋でもあった永楽通宝銭(えいらくつうほうせん)
永楽通宝銭とは中国の永楽帝の時代に鋳造された銅貨のことで「永楽通宝」の文字を鋳出している。
日本では室町時代に輸入され、江戸初期にかけて標準的貨幣として流通していた。
織田信長は木瓜紋だけではなく永楽通宝銭も使用している。軍旗には永楽通宝銭を染め抜いたもの。
軍旗に使用した理由は、永楽通宝銭のような存在になりたいと願ったものとされている。
その他の銭紋
青山氏の家紋「青山銭」
徳川氏の家臣である青山氏の家紋の青山銭は裏から見た無刻の銅銭を輪郭のみで描かれたもの。
丸に四角という非常にシンプルなデザインになっている。
仙谷秀久の永楽銭紋
明代の永楽年間に鋳造され輸入された永楽通宝を家紋にしたもの。縁起が良く瑞祥的なことから使用された。
豊臣秀吉の最古残の家臣の一人で、信濃国小諸藩の初代藩主である仙谷秀久が家紋としている。
これは織田信長より下賜されたものだそうだ。