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猛牛のエンブレムが有名なランボルギーニ

イタリアの高級スポーツカーメーカーであるランボルギーニは、いつの時代でも羨望の的である。ランボルギーニ・カウンタックを一度は乗ってみたいと思っている方も多いのではないだろうか。
そこで、今回はランボルギーニのエンブレムについて紹介したいと思う。

猛牛のエンブレム

ランボルギーニは同じイタリアの高級スポーツカーメーカーであるフェラーリに対向して作られたメーカーである。
フェラーリのエンブレムである暴れ馬に対して、ランボルギーニは猛牛を採用したという。
だが、近年ではエンブレムの由来はランボルギーニの創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニがおうし座だったことから、闘牛のデザインを採用したという説が有力になっている。

車の名前にも猛牛が由来している

ランボルギーニはエンブレムだけではなく、車名も猛牛を由来としている。

ミウラ

ランボルギーニのミウラという名前はイスヘロの由来となった牛を飼育していた牧場名から。この牧場からは数多くの獰猛な牛を輩出してきた。
また、ミウラの牧場主がフェルッチオと友人関係にあったそうだ。

ウラカン

ウラカンはスペインの闘牛の名前からで、1879年に行われた試合で大活躍したそうだ。

ランボルギーニが高級スポーツカーメーカーとなった理由とは

ランボルギーニは元々トラクターを販売していた会社である。
第二次大戦後、イタリアのトラックが不足していることに目を付けたフェルッチオが自らシステムを開発し、トラックを製造。
優秀な整備士であったフェルッチオは、トラクター事業に成功し巨万の富を築いたのだった。
成功者となったフェルッチオは所有していたフェラーリが故障したため、修理パーツを送るようにフェラーリに依頼する。
しかし、送られてきたパーツは自社のトラクターとまったく同じパーツだったことと、価格が10倍もしたことに激怒。
この件をきっかけにフェラーリ以上のスポーツカーを作ることを決意するのだった。
1962年にフェルッチオ・ランボルギーニ社を設立すると、1964年には名車といわれるランボルギーニ350GTを生産。
会社創設からわずか2年でスポーツカーを開発したのである。
1999年に一度フォルクスワーゲングループであるアウディの傘下となっている。そして、2019年からポルシェの傘下になった。
これはフォルクスワーゲンがグループ内で手掛けるアウディ、ブガッティ、ランボルギーニなど、スポーツカーのプラットフォームをすべてポルシェ製にして、コストダウンを図るためである。
そのため、現在のランボルギーニのプラットフォームはアウディと共有している。